自らもヨーロッパ人で、ソロモンの共同経営者ジョエル・パウエは言ったそうです。

「ソロモンには人を引きつける魅力がある。皆彼を好きになる。時間をかけて持ち主たちと親しくなり、口説き落とそう、彼は断固そう決心した。彼の活力こそ、ヨーロッパ人がアメリカに求めるものだ」

それでもソロモンとパートナーのファースト・ボストンは、この土地に1平方フィート当たり4000ドルという途方もない金額を支払わねばならなかったのです。

この膨大な土地コストを相殺するため、彼らは隣接する教会の「空中権」を1570万ドルで買い取っています。

こうすれば元のゾーニングで許されていた以上に高いビルを建設することが可能になるのです。

そして床面積45万平方フィートのビルを建設すれば、土地1平方フィート当たりのコストは136ドルとなります。

だがファースト・ボストン不動産のトラベルステッド会長は、計画に着手する以前に「1平方フィート当たりのコストが170ドル以下なら、採算がとれる」と踏んでいたのです。

5番街56丁目にあるリッツォーリの土地は地主が多数いるうえに、見込みのある買い手も大勢いました。

持ち主の一人はイタリアに、別の一人はドイツに住んでいました。

2人にまず話をもちかけましたが、どちらも売りたがらなかったそうです。

ソロモンはどうしたか。

「数週間おきに交渉のためヨーロッパに飛んだ。わずか1時間の会談のためだけに飛行機に飛び乗った」こともあります。

ソロモンの粘り強く、猛烈で自信満々の態度に、相手は次第に尊敬の念さえ抱くようになったそうです。

若いアメリカの「鬼才」の情熱にほだされたのです。

ソロモンが再びファースト・ボストンと組んで買収したのは世界的に有名な美術書店リッツォーリのビルと、これに隣接するコティのビル。

「リッツォーリの一件は、ちょっと小説めいているんだ」とソロモンは言いました。

「最初その一画をそっくり買収するなんて不可能だといわれた。だが、私はやった。すると、『匿名の』ライバルや住民に乗せられた市が、歴史的建造物指定とい、つ手で私を潰し」にかかった。

だがソロモンは切り抜けたのです。

「何かをやろうとすれば、困難はつきもの。勝者と敗者を分けるのは、確固たる信念をもって問題の解決にあたるかど、つか」なのだと。

タワー49は、建築と開発に2500万ドル以上かりましたが、周辺の相場をかなり上回る賃貸料で全フロアー入居者が決まりました。

総工費7000万ドル弱のアスター・テラスも、290室中、約9割が売約済みでした。

しかし、そのあとに試練のときがきました。

マンハッタンの一等地、5番街56丁目に建つ由緒ある2つのビルを買収したときのことでした。

1平方フィートあたり4000ドルという破格の値段で買収交渉を終えたところで、降って湧いたように2つのビルが歴史的建造物に指定されてしまったのです、

この指定は、取り壊しができないことを意味します。

「ソロモンも終わりだ」と地元マスコミは騒ぎたてました。

ふつうならここで身の振り方を考えるとろです。

しかしそこは成功者。

「負ける気がしなかった。障害があるなら、どこまでも戦う覚悟だった」とソロモンは言ったそうです。

それからさらに5年、いよいよソロモンが不動産業界の「大リーグ」に打って出る日がきました。

それまでの取引でかなりの資金を貯めてはいましたが、今度は5番街の繁華街に摩天楼を建てるのです。

もちろん手持ち資金では足りません。

そこでソロモンは大手銀行ファースト・ボストンの不動産部門と手を組みました。

その成果が、5番街49丁目にそびえる44階建ての高層ビル「タワー49」でした。

同じように、大手の生命保険会社と組んで2番街93丁目に豪華マンション、「アスター・テラス」を建設することにも成功しています。

★ソロモン・エキティ社
ソロモンは大手デベロッパーが手を出さないような物件を取得しては再開発して売りまくったそうです。

たとえば目抜き通りの5番街でも、高級ショッピング街が終わる42丁目以南にある物件です。

マンハッタンの土地の高さは東京なみと言われるが、それでも「スキ間」はありました。

そこに目をつけたことで、ソロモンは土地の取得に大金を投じることなく、デベロッパーとしての実績を積みあげていくことができたのです。

事業を始めて5年後の80年には純益500万ドル。

このころになると、マンハッタンの高級住宅地アッパー・イーストサイド(セントラルパークの東側)に高級分譲マンションを建てるなど、華やかな仕事もできる体力がついていました。

★ソロモン・エキティ社
デービッド・ソロモンは本来、建築家です。

コーネル大学から名門ハーバード大学に転じ、卒業するとすぐバージニア大学で教鞭を取ってもいます。

だが、やがてもっと面白い生き方があることに気づきました。

建築物を商品として売り出す不動産デベロッパーのほうがずっと儲かるではないか・・・。

いっそ土地の取得から設計、販売まで一手に引き受けてしまおう・・と。

そう思い立ったのが1975年、24歳のときだったそうです。

マンハッタンの廃棄された工場を5万ドルに満たない安値で買い取り、見違えるようなビルに改造したのが最初の仕事でした。

このビルは450万ドルで売れました。

まずは幸先のよいスタートです。

昆虫の側も、特定のランの花から蜜を得るために、その花の形にあわせて体や習性を変えてきた。

このような、昆虫との共進化の結果、ラン科植物の花は大きさ、形、色がきわめて多様化したといえる。

ラン科植物の種子はきわめて小さく、発芽して成長するのに必要な栄養を貯えていない。

そのために、ある種の菌類と共生しないと生育することができない。
ラン科植物が環境の変化にきわめて敏感なのはこのためである。

安定していたはずの熱帯多雨林は、伐採により大きく変わってしまった。
しかも、昆虫を誘惑するために美しくした花が災いし、園芸・観賞用に乱獲され、絶滅の危機に瀕している種類もある。

熱帯多雨林で成功したランにとってみれば、人類の繁栄は「誤算」であった。

ラン科植物は、世界におよそ二万五〇〇〇種、キク科植物はおよそ二万種あると考えられている。

一つの科に属す種類数が二万をこえるのは、ラン科とキク科だけである。
ともに被子植物でもっとも進化し、成功したグループといえよう。

ラン科植物は温帯や寒帯に進出したものも多いが、大多数は被子植物のもっとも発達した社会である熱帯多雨林に生育している。

光を求めて巨大化した樹木とは競争せず、森がつくり出した湿潤で安定した環境で成功したものといえる。

温帯から寒帯の乾燥した環境に進出し、しかも掩乱された環境をうまく利用し、雑草となったものも多いキク科植物とは対照的である。

ラン科植物は昆虫に花粉の媒介を依存している。
しかも特定の昆虫に効率よく花粉を運んでもらうために、その昆虫の形態や好みにあわせて花の形や色彩を変化させた。
なかには昆虫そっくりに擬態した花まである。

高さ一四メートルのところで幹を切り、根元を少し掘ってクレーンで吊り上げたところ、引き抜けてしまったそうである。

また、上部では幹の直径が一メートル以上あるが、板根が張り出しているところでは、いわゆる丸い幹はほとんどない。

板根とよばれているが、実際は根そのものではなく、側根の伸びる方向の幹が異常に肥大したものといえる。

七〇メートルをこえる高さの木を支えるのに、基部の幹全体を太くするのに比べて、薄い板根で支えるほうが経済的なのであろう。
熱帯多雨林は被子植物のもっとも発達した社会といえる。

一年中気温が高く、雨が多いために、植物がよく生育する。
森の上に高く突き出た超高木、それを支える巨大な板根、巨大な花を咲かせる寄生植物ラフレシア、さまざまな形のランの花など、熱帯多雨林を構成する植物の世界はきわめて多様性に富んでいる。

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